マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

組織を変革するⅡ

離反する社員が出たものの,組織運営は格段にやりやすくなった。派遣,パートの活用で売上げも覚悟したほどは落ちなかった。結束力は強くなったわけだから,あとは売上げを上げる努力をすればいいと楽観的に構えていた。
しかし,ここから事業部は迷走を始める。会社の全体方針が変わってしまったのだ。


◆『現場のことはわからないから』
私の事業部は,唯一現場を持つ事業部として,運営・マネジメントについてはかなり独立色が強かった。ところが,全社的な事業間のシナジーが必要だという方針に変わってしまったのだ。理由は単純で,組織運営やマネジメントにいろいろ問題が出た私の事業部に比べて,メインの事業部が順調に成長していたため,運営方針を統一したらうまくいくのではないかと考えたためだ。私の事業部はいわばベンチャー内ベンチャーのようなもので,「ニーズがあるから」始めた事業である。もともとメイン事業とのシナジーを見込んで始めたわけではない。だから,運営方針の統一といっても無理があることは明らかであった。しかもタイミング悪く,私は事情があってこのベンチャーから離れることになっていた。そこで営業本部長を管理者としたのだが,本部長は営業はわかっても現場のオペレーションについてはほとんど理解していなかったため,結局は現場責任者に任せっきりになってしまった。私は会社を離れるにあたって,「独自の運営を維持しなければ組織がおかしくなる。マネジメントの対象は営業部隊ではなく,現場の集団だから。」との意見を述べたのだが,方針が変わることは無かった。


◆『1年間の迷走の末,再び戻る』
この後約1年間に渡り,組織は徐々に疲弊していった。売上げ至上主義の下,顧客との間にトラブルが生じても,オペレーションの改善もなく,サービスの見直しもしなかった。戦略も無く,現場の我慢と犠牲だけで組織を持続していたのだ。それでも途中までは売上げ上昇も見られたのだが,結局疲弊した組織では成長の持続は不可能だったようだ。再び社員が離脱し,顧客とのトラブルが頻発。売上げも目に見えて落ちてきてしまった。
そして1年後,事業部は存続をどうするかを考えるところまで来ていた。統括者であった営業本部長もすでに退職していた。社長としては,せっかく始めた事業ではあるが,無理をして続ける必要は無いと判断した。ただ,やるべきこと,試すべきことを全てやった上なら納得もできるが,未だ不完全燃焼の状態だとも考えたようだ。
そこで,どうせダメになってしまうなら,事業の基礎部分を創り,現場(中身)を良く知っている私を最後にもう一度投入し,最後の判断をしようと腹を括ったらしい。
社長から,再度の建て直しを依頼されたとき,私も引導を渡すなら自分でやりたいと考えた。たくさんの社員の屍の上に成り立っているような事業部を,他人の手で処理されてしまうのはやりきれない思いがした。とにかく1年間,権限を持って組織変革に臨み,ダメなら諦めるという覚悟で,再び戻ることにした。