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マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

知的デバイドがネットのリンチ構造を生む

■熱しやすく冷めやすいネット上の世論

日本人の熱しやすく冷めやすい性質は今に始まったことではないのですが。


しかし,何か事件が起こったとき,ネット上での対象への“リンチ”とも思える盛り上がりは,ここ最近の傾向ではないかと思います。


ホリエモン朝青龍,亀田親子,沢尻エリカなど“時の人”に始まり,不二家,コムスン,赤福などの企業に至るまで,短期間に盛り上がって,叩くだけ叩いたら,熱が冷めて何事もなかったかのように次の対象に移っていきます。


■マスコミも予想できない

マスコミによる報道被害というのは,松本サリン事件にも見られるように,捜査当局の世論誘導とそれに乗っかるマスコミという構図で定番になって久しいですが,いまのリンチ構造は,きっかけがマスコミ報道であるにせよ,あきらかにネットを介在した市井の“論客”による世論の一方向への増幅だと見ています。


ネットによる世論の伝播力が弱かったころは,テレビや新聞の論調を受けて世論が傾くにしても,マスコミが常に煽り続ける必要がありました。


それが,いまは掲示板や個人のブログ,そしてそれに対するコメントなど,自己増殖的に短期間での世論形成が可能になっています。


最初にきっかけを作ったマスコミも,その動向をコントロールするどころか,向かう方向さえ予想できない状況ではないでしょうか。


■擬似的な思考追体験が思考力を落とす

ネットで発信される意見が,ほんとうに発信する本人の思考回路によって吟味されたものであれば,これほど短期間に一方的な世論が形成されないのではないかと思います。
感情的に受け入れられやすい世論がたいがいの場合大勢を占めるところを見ると,まずは感情論の結論ありきで始まり,それをサポートできる論調の記事なりコメントに安易に乗っかって発信されたものが多いのではないでしょうか。


ブログなどは,新聞の論説などに比較して,文体も論理構成もわかりやすいものが多い。
だから,自分の意見として取り込みやすい。


自分の頭で考えていなくても,読むだけで考えたような気になってしまう。思考の追体験ができてしまう。


自分の感情に最も合致する意見を探してきて追体験すれば,後はいくらでも毒がはけてしまうわけです。


昔は,人の意見に相乗りして意見を吐くにしても,せいぜい仲間内での広がりか,新聞への投稿か,ネットといっても自分のホームページに掲載するくらいのスピードに過ぎなかった。


ところが,いまはそれらの一見考えてる風を装った感情論が,短期間でネット上で結びつくことができるようになってしまった。


そしてますます冷静に思考するという力が弱まってしまうのです。


■知的デバイドの拡大は止まらない

ネットがいくら発達しても,使う側の人間の知的レベルが上がっているわけではありません。


ほんとうの意味での“市井の論客”なんて限られた数です。


にも関わらず,誰もが簡単に他者への影響力を持って意見を吐けるようになったところに,ネットの持つ恐ろしさを感じます。


単なる負の感情のはけ口にしか過ぎない意見・コメントの連鎖が簡単に起こってしまう恐ろしさがあります。


ネットによって,より多くの情報を集め,より深く思考する人と,人の思考を簡単に追体験し,それを後ろ盾にして自分ではほとんど思考せずに感情論を吐く人,この知的デバイドはこれからも広がり続けるのだろうと思います。


知的デバイドが拡がる限り,この“リンチ構造”はなくなることはないでしょう。