マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

少子化を背景に中学受験が過熱している理由

■経済成長に伴って過熱した受験競争
中学受験というのは、私立校が多い都市部においては昔から一定数以上の受験者がいた。ただし、親が教育への関心が高い場合や、親の職業を世襲するため(親が医者なので将来は医学部を目指すなど)など、親の年収や教育水準、職業による影響が大きいため、誰も彼もがというわけではなかったはずだ。


それが日本経済の成長にリンクして、高学歴であるほど年収が増えるとか、いい大学を卒業した方がより給料の高い職業に就けるといったように、中産階級が自分の子供たちの将来をより良くするために、最も確実性が高い投資として『受験教育』が一般化してきた。
それに伴って、小中学生向け受験産業も活性化し、都市部ばかりではなく、より郊外(ベッドタウン)の中産階級の子弟にも『受験教育』が浸透した。
第2次ベビーブームの後、出生率の低下が問題視され始め、バブルが崩壊して日本経済の低迷期に入るまでは、将来のより高い所得や社会的地位獲得のための『受験競争』は加熱する一方であった。


ただこの時代、小学生から塾通いし中学受験する子供たちはどんどん増えていたが、公立中学に通いながら、高校で初めて私立を受験する生徒も多かったように思う。中高一貫教育の私立に高校から入学するパターンである。当時は高校からの編入学数もそれなりの人数であった。


■少子化による学校側の生徒囲い込み
ところが、“少子化”に歯止めがかからないことが確実視され始めてから、学校側(私立中高一貫校)の戦略が変わってきた。高校からは編入学させないことによって、従来は高校での受験を考えていた層を、より早い段階、つまり中学受験へ誘導することで、優秀な生徒を囲い込んでしまおうという動きである。
高校での編入学をあてにしていたら、受験生が集まらないばかりではなく、目的のレベルの受験生が集まらないという問題が生じてきたためである。


こういった動きが主要な中高一貫校を中心に広まるにつれ、中学受験で入学を逃したら高校では受験できる一貫校が限られ、大学受験での一発勝負になってしまうという親側の不安が高まり、全入学時代などと言われながらも、中学受験競争は過熱する方向に動いている。


■安定した就職のための中学受験
一流大学(ブランド大学)に進学できれば、一流企業(大企業、一部上場企業)に就職ができ、将来安定した人生を送ることができる、というのは非常にわかりやすい受験理由ではあるが、有名私立中高一貫校(大学の付属校も含めて)を目指す受験生とその親たちは、本当にそれがメインの目的で中学受験をさせているのだろうか。


『将来の安定のため』といった理由が中学受験の主な理由であるならば、今は一流企業といえども破綻することだって珍しくないのだから、このご時勢に一流大学→一流企業を目指すための中学受験に意味なんてあるのか、という意見は当然ある。
もしそうなら、中学受験をさせる親たちは、日本がまだまだ成長している時代の幻想を捨てきれていないのではないか、という見方ができよう。


いまだに、そういった目的で我が子に中学受験させる親たちがいることは否定しない。しかし、一億総中流時代が終わり、ある程度階層が明確に分かれてきている時代である。さらに中学受験を考える親たちは自らが受験競争を経験してきた世代であり、相応に高い教育を受けてきた層でもある。


将来の安定した就職のためというのは、あくまで副次効果的なものであり、中学受験させる真の狙いはもっと本来の教育を目的としたものだと私は考える。


■親が子供に与えられるもの
先行きが不透明で自分たちの将来すら不安な時代、子供たちに対して何ができるだろうかと考えた結果、より質の高い教育を受けさせ、より幅広い経験をさせることが、「不安定な時代を生きていく力」になるはずだと、親たちは考えているのではないだろうか。


これは、例えば「手に職を付けさせる」という発想に近い。高等教育を受けた親であっても、資産家でもない限り、子供たちに残せる財産は、彼ら自身の身に付けさせる教育くらいだということではないだろうか。相応の教育を受けたからこそ、今の生活があると感じている親ならば特にそうであろう。
これは、高度成長期に、自分は中卒、高卒だけれども子供は大学まで行かせよう、という親子2代でのキャリアアップといった、どちらかというと前向きな発想ではなく、「教育くらいは身に付けさせて混迷する時代を生き抜いて欲しい」という悲壮ではないが、切実な守りの発想に近い。


人間は意外に狭い世界で生きていて、自分とは大きく異なる環境に子供たちを進ませることには、どの親も不安を感じるに違いない。だから大学を出て企業に就職したような親は、自分と同じような進路を子供にも進ませようと考えてしまう。自分と同じように教育だけはきちんと受けさせたいと願うのだ。


中高一貫教育に期待するもの
中高一貫の私立校というと、大学までエスカレーター式の付属校以外は、大学受験に特化したカリキュラムを組んでいると思っている人が多いのだが、それは中堅以下の私立校の戦略である。学校で徹底して受験対策を行なうので、現役合格比率も高いというものである。もちろん現役合格率や東大合格率(関西だと京大合格率、地方だと地元国立大学合格率とか)というのは、その私立校のレベルを図る指標としては重要なものであるが、上述した質の高い教育というのはこれが全てではない。より難易度の高い中学を目指すのは、大学受験対策だけを期待しているわけではないはずだ。


確かに大学合格率というのは、親としては学校を選ぶ際の指標のひとつではあるが、それは教育カリキュラム、システム、校風などを総合した結果論であることが多い。


中高一貫の有名私立校に行って、実際の学生を見たり、文化祭などの学校行事で生の活動に接してみるとわかるのだが、単に勉強ができるだけの生徒は逆に少ない。どの学校も受験というシステムを上手く活用して資質・能力の高い生徒を集めている。
受験というのは人間のごく一部の能力を測る手段なのであるが、資質・能力の高い子供というのは、そういう不完全なシステムにおいても自分の能力を発揮することができるのだろう。


可能ならば、こういう生徒がたくさんいる環境で自分の子供の能力を伸ばしたい、と考える親は多いはずだ。中学受験というのは、小学生に強いるにはやはり過酷な面があることも理解した上で、それでも6年間過ごす環境として有名中高一貫校に我が子を入学させたいのである。


20歳までの6年間に経験したことと、20歳を超えてから6年間で経験することでは、人生における重みが全く違う。多感な時期を資質・能力の高い仲間と過ごす経験は、その子供の将来にプラスに働くと私も考える。その後の人生の質に影響を与える経験である。


日本は階級社会であり、格差社会であるというのは事実であるが、教育を受ける機会というのはかなり公平である。中学受験させるためには塾の費用はじめ、かなりの出費が必要であるが、逆に言えばお金があれば誰にでもチャンスはある。だからこそ中学受験が過熱するのだ。


■中学受験の過熱は収まるのか
日本の将来に不安があり、国の教育に対する投資も減り、公立学校の先生の質が下がり続ける現状を見ると、中学受験の過熱状態は当分続くだろう。と言っても、ここで対象にしている子供たちは全体から見れば数パーセントに満たない数の話である。(ただし受験者数はその何倍にも上る訳だから、相当数の親が中学受験に関わる可能性はある。)
その中から将来の日本を担うリーダーが育つのだとしたら、過熱すること自体は悪いことではないかもしれない。