私たちはどんなにお客様が要望したとしても,サービスを提供しないことがある。
それは現場で働く者(=ナース)の満足が得られないと判断した場合。
『ナース満足の無いところに顧客満足はない。』
というのが私たちの守るべき信条だからである。
それは生死が関わるシビアな局面においても変えないつもりだ。
もし,私たちがサービスを提供しないことによって,お客様の死期が早まったり,ご家族の負担が著しく増えることがわかっていたとしても,そこで働くナースにとって疲弊することだけが予想されるならば,サービスは提供しない。サービス提供中であっても撤退する。
私たちのサービスに従事するナースは,患者のために疲弊することなどは厭わない者が多い。メンタル面で健康を害しても患者のために尽くしてしまう。
病院ならば,チームケアによって負荷がひとりにかかることは避けられるが,在宅の場合は患者とナースが1対1になるため,負荷が集中してしまう。
だからきちんと管理しなければ,ナースを潰すことになりかねない。
自分で患者との距離をコントロールできることに越したことはないが,ナース本来の気質や職業的な責任感から,それが難しい場合も多い。
また,在宅の場合は,患者にとって自分のテリトリーにナースが居るわけであるから,患者としてもついつい我侭も出てしまう。
ほとんど場合,それらはナースと患者の信頼関係の下,問題になる前に処理されることが多い。
しかし,患者の病状や家族の理解不足によって,ナースと患者の二者間の問題として処理できなくなる場合が出てくる。
そういう場合,私たちは事業者側の判断として,サービスの提供を停止する。
「事業者側の都合で顧客が求めるサービスを停止するとは何事か。」という意見もあろうが,働く者の尊厳や健康を守るのも事業者としての責任である。
どんなに大変でも,そこに労働する者の満足が残ればいい。しかし,ただ疲弊するだけ,満足どころか患者の要望に応えられない自分への虚しさだけが残るような現場で,働き続けることは管理者として許容できない。
私たちの経験で例に挙げるとすれば,ALSという神経系の難病の場合,ナースの疲弊度が許容範囲を超えることがある。
ALSは,英語名(Amyotrophic Lateral Sclerosis)の頭文字をとった略称で,日本語名は筋萎縮性側索硬化症といい,運動神経が冒されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病である。アメリカではメジャーリーグ野球選手のルー・ゲーリックが罹患したことからゲーリック病とも呼ばれている。また,イギリスの有名な宇宙物理学者ホーキング博士も30年来の患者である。
病気が進むにしたがって,手や足をはじめ体の自由がきかなくなり,次第に話すことも食べることも,呼吸することさえも困難になってくるが,感覚,自律神経と頭脳は何ら冒されることはない。進行は個人差があるが,発病して3〜5年で寝たきりになり,人工呼吸器を装着しなければ呼吸することができなくなる。
残念ながら,原因も治療法もわかっていない。一般に40〜60歳で発病し,患者は全国で5000人ほどと言われている。−日本ALS協会のホームページより−
ALSは頭がクリアな状態のまま身体機能が麻痺してしまう。患者のストレスは計り知れないものがあると思う。
じわじわと死が迫ってくる。自ら呼吸すらできなくなり,動かせるのは眼球くらいという完全介助の状態が何年も続く。
最初は介助者への遠慮があったにせよ,そのストレスのはけ口は,ケアに携わる家族か,もしくは私たちのようなサービス事業者に向く。
特に,私たちのお客様のように経済的に恵まれている方たちは,人を使うことや,お金で問題を解決することに慣れている。
自分が満足するまで要求度は高まる一方である。
こうなると,現場のナースはただただ患者の要求を満たすためだけに疲弊度を増す一方である。
掛け布団の位置を決めるだけで一時間もやり直しを命じられたりする。
こういうニーズに応えることはお金の問題ではない。
サービスの範疇を超えていると私は考える。
だから私たちは,『ナース満足の無いところに顧客満足はない。』を信条として,どんなに切なくてもサービスを停止する。
日本看護協会ホームページ
看護者の倫理綱領
http://www.nurse.or.jp/nursing/practice/rinri/rinri.html