マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

医療崩壊〜「立ち去り型サボタージュとは何か」〜

■現役の現場外科医からの警鐘
著者は執筆時,虎の門病院の泌尿器科部長という立場の方です。
この本を通して著者がもっとも伝えたいことは,冒頭の「何が問題なのか」という部分と巻末の「結論 今こそ医療臨調を」という部分に凝縮されています。


・「医療」というものの実態について,患者と医師の間で考え方に大きな隔たりがある。
・メディア・警察・司法が患者側の考え方に立つため,この隔たりが社会問題化している。
・現場の多くの医師は,これらメディア・警察・司法からの攻撃が不当であると感じ,勤労意欲を失いかけている。
・患者側からの攻撃が強い小児救急・産科診療はすでに崩壊を始めている。
・このままでは,急性期医療・先端医療を担うべき病院から医師が逃げ出し崩壊せざるを得ない。


これらの問題点に対して必要だと考えられるものを主張しています。
・具体的対策を考える前に,医療に関する認識を統一する努力。
・医療の問題の本質,危機回避のための対策に臨む理念についてコンセンサスの形成。
・医事紛争について,裁判によらない解決方法の模索と公平な補償の実現。                      

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か


■医療は本来不確実性を有する
言われればあたり前だけれども,改めて指摘されてなるほどと思いました。
『医療行為は生体に対する侵襲(ダメージ)を伴い,基本的に危険である。』
何かことが起こった時の医者の言い訳だと切り捨てるのではなく,医療システム全体の進歩につなげるためにも,医療とは本来そういうものだという認識を持つべきだと思います。


「生体を相手にする医療行為に100%の保証を求めることは不可能である。」
という前提に立って,情報公開や医療過誤があった場合の調査の在り方,遺族への補償の在り方などを考えなければならないのかもしれません。


■医療事故に対する専門の調査機関の不在
医療事故が起こったとき,その個々の事故を調査するための専門機関がないということを初めて知りました。
実質的には警察だけが医療過誤の調査制度を持っていることになります。つまり事件性があるのかないのか,あれば証拠を集めて犯人捜しを行います。
ということは,事件性がなければそれでお終い。事件性があったとしても,犯人を特定してしまえば,全国レベルで医療システムの欠陥を是正することもできないわけです。
監督官庁である厚生労働省が調査制度を持っていないというのは確かに不思議といえば不思議です。


■臨床医療に対する認識不足
臨床医療が現在どのようなレベルにあるのかを,このような専門家の意見によって一般人がもっと認識する必要があるでしょう。
慈恵医大青戸病院での医療事故に関する記述の中で,「なぜ,手術のマニュアルを準備するといった基本的な対応を行わないのか?」という質問を受け,愕然としたという件があります。
医療機器を用いた最新手法の手術において,複数のマニュアルが準備されるのは当たり前であり,マニュアルが存在するのかどうか,マニュアルに沿って手術が行われたかどうかが,この事故の本質ではないし,マニュアル通りに手術が行われたとしても不確実性を有するのが手術を含めた臨床医療であるということ。要はそういう医療従事者にとっては当たり前の認識が共有されていないために,事の本質が全く違う次元で議論されてしまっているということでしょう。
慈恵医大青戸病院の事故では,手術を執刀した医師をマスコミと世論が糾弾し,病院側が彼らを切り捨てることによって,事故原因の本質もうやむやになってしまったし,病院側の体質も変わるきっかけを失ったようにおもいます。


医療崩壊は防げるのか
この中では著者が崩壊を食い止めるための具体策をいくつか提案しています。
対策がとられないまま行けば,病院の医療現場から医師が逃げ,リスクの高い医療は敬遠されるようになるでしょう。
アメリカ型の医療崩壊に進行するのは庶民には辛い現実です。
よい診断を受け,よい治療を受けるためには,専門に特化したクリニックに推薦状を書いてもらい,高額の自由診療費を払うことになる日も近いのかもしれません。