■長すぎた希望の持てない時代
日本はいつから若者にとって希望の持てない社会だったのか。
日本は経済成長とは関係なく、社会の構造そのものが、特に若者にとって希望の持てない構造になっていた。
バブルが崩壊するまでは経済成長の目くらまし効果があったことは確かだが、それもある特定の業界とか職種とか、時流に乗った人々のみの希望であったように思う。
才能があったり、努力をする若者が希望を持つことができる社会であったかというと、たぶん違った。
失われた10年(もしくは15年)の間に社会に出た若者は、低成長時代、終身雇用崩壊などを体感することによって社会に対して期待することが無くなったと言うが、それ以前から日本の社会は若者にとって期待できる国ではなくなっていた。
20代の投票率が格段に低く、政治への興味が薄かったのも、大きな原因はそこにある。
自民党は既得権益者たちの組織票によって長らく与党であり続けた。
ところが、その既得権益者たちにとっても、希望を打ち砕かれるような失態が続いた結果、ついには政権を失う羽目に陥ってしまった。
若者だけではなく、子供のいる夫婦、いない夫婦、独身、高齢者、全ての世代、世帯層にとって希望が持てない社会になってしまった。
政権が交代すれば、なにか希望がひとつでも持てる社会に変わるのではないか、という希望が無くなったことから生まれた希望が芽生えた。
誰も本気で民主党に期待しているわけではなかったはず。
自民党への“NO”の声が行き場を失って民主党に流れただけである。
自民党のマニフェストと民主党のマニフェストを真剣に比べて投票した人がいったいどれだけいるだろうか。
あまりに長すぎた希望のない時代を経て、あらゆる世代が希望のない中での希望をほんの少し見出した結果にすぎない。
■人々は希望を必要としているのだろうか
鳩山首相が国連演説で拍手喝采を浴びても、民主党に一票を投じた人たちは何か希望を持てるようになるのだろうか。
いや、もっと単純に、やっぱり民主党に投票してよかったと思っているのだろうか。
直近の自民党の政治家たちが、国際舞台で演じた失態を思い起こせば、鳩山首相は合格点を出せる、と思っているくらいか。
日本の国民は希望を持てないことよりも、将来の不安の方が気がかりだろう。
日本の将来は不安だらけだが、自分だけは何とか大丈夫じゃないか、と思っている国民の割合が極端に減ってしまっている。
希望なんか要らないから、何とかこのまま崩壊しないで行けないものか、と多くの国民は祈っているのだと思う。
将来に不安いっぱいの国民が、政権交代を経て、それでも安易に希望なんか持たないでいる。
それでも、もし民主党がコケてしまったらどうなるか。
ファシズム政党が台頭してきそうで恐い。
日本の国民はバカではないから、希望が無くなったからといって自暴自棄になったり、極論に走ったりしないと思いたいが、それでも不安がかつてないくらいに大きくなってしまったら、ファシズムが台頭してきてもおかしくないのかなと考えてしまう。