■学力低下の歯止め策にはならない
小学6年生、中学3年生で実施する全国学力テストの結果を公表するかどうかで議論になっているが、この公表の目的があいまいになっている。
結果を公表する前提でテストを実施することで、先生や生徒に競争意識を持たせることが目的なのでは?と誰もが考えるのだが、違うのだろうか。
競争意識が働けば、努力するはずだ、というシンプルな発想なのではないのか。
そもそも過去において実施されていた全国学力調査が打ち切られた理由も、当初の目的が忘れられて、表面化した事象をくい止めることだけを考えた策のように思える。
学力アップを図るためには比較が必要、比較をすると自ずと順位が付いてしまうことは避けようがない。
これを公表しないで、地域や学校ごとに、個別施策の元データにすることは可能である。
ただし、学力テストとか、それを公表する・しないが学力低下を防ぐ施策には、たぶんならないと思う。
■子供たちの学力格差は想像以上
これらの施策を議論している方々は、一度日本全国の小中学校を複数視察に回ることをお勧めする。
学力テストの結果を公表するとか、しないとか、それで学力低下を図るとか、そんなことがもはや何の効力も持ち得ないことが理解できるだろう。
公立の学校はもはや単なる箱に過ぎない。極論かもしれないが、箱の機能しか果たしていない学校は多い。地方にはまだ昔の学校のイメージを残しているところもあるし、学力レベルを上げているところもあるが、都市部はもう昔の学校ではない。
こと学力に関しては、都市部の学校が果たしている役割はかなりの程度低下、縮小している。
“ゆとり教育”をはじめとする、教育改革の失敗続きで、子供たちの平均学力は崩壊レベル。
一部の子供たちの学力レベルが維持できているのは、入試制度と塾、家庭教師、予備校の存在による。
勉強する子供、できる環境にある子供、それと勉強しない子供は二極化していて、格差は開く一方である。
学校単位やエリアで学力を見ることに、意味がなくなっている。
もし、日本の子供たちの学力レベルを底上げしようとするなら、カリキュラムの見直しと、教員採用条件と採用プロセスの見直しをする方が早道だ。
全国統一テストは、全国均質の教育が実践されていた頃には意味があったが、今は同じ学校内でも均質ではない。よほどの秀才でもない限り、学力は学習に関わる環境で大きく変わるし、今は経済格差がそのまま学力格差に反映されてしまう。
公表するとかしないとか、そんなことを議論することが、そもそも意味を持たないのだと気付いていないことが、日本の教育制度が危ういことを現しているように思えてしまう。