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マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

世代論について考えてみました

■ひと括りにすると便利なこともありますが

私自身の世代も,語られる切り口によって呼び名がいろいろ。

“新人類世代”,“バブル世代”


“新人類”は特に前の世代との考え方や行動様式の違いについて指摘される場合によく使われた気がします。
“バブル世代”は当然ですが社会人になってから,会社組織の中でのポジションについて語られる場合に使われてきました。


そして,私自身も他の世代をひと括りにして論じてしまうこともあります。

“団塊世代”,“団塊ジュニア世代”,“ゆとり教育世代”などなど・・・。


自分のことを世代論で語られるときは,世代の特徴と自分との差異を探し出して,ひと括りにされることを嫌ってきました。
その反面,他の世代に対しては,細かい差異は無視して,共通点があればひと括りにしてしまうことが多い。


それで,改めてこの世代論について考えてみるに。


世代論というのはそこに所属する個々人の共通する特徴を総合し,改めてそれを個々人を把握するために使うのではなく,その世代が背景として背負っている社会の雰囲気や特徴を捉えるためにしか使えないのではないだろうかと。
総合するとある特徴が見えるけれど,個々の要素を見ると,必ずしもその特徴は当てはまらないということです。(あたり前過ぎるか)

例えば,ゆとり教育世代の新人がいて,こちらが常識だと思うことを知らない場合,ゆとり教育で育ったからものを知らないわけではなく,あくまで個人的な問題で,常識を身に付けている同世代の人間もたくさんいるわけです。


しかし,彼らの新人教育プログラムを考えるにあたっては,彼らが全体として受けてきたゆとり教育の特長,いい面,悪い面を知っておくことは有用かもしれません。


■上の世代はいつも下の世代に厳しい

私自身が所属する“新人類世代”が社会人になったとき,上の世代からは「おまえらは組織に所属するということがわかっていない。」的なことをよく言われました。
まだまだ家族主義的な付き合いが重視されていましたし,組合運動会なんかもあったりしました。


そういう組織の中で,「いや,今日は酒を飲むって感じでもないので失礼します。」というのは,確かに危ぶまれてしまうかもしれない。


いろいろ組織の中で揉まれて,剥けなくてもよい皮が剥けたり,もしかしたら牙とかも抜けてしまってオジサンの世代に突入してきたわけです。


そういう人が,下の世代に向かって「君たちは組織の中の自分というものを考えたことがあるかい?」とか言ってるわけですから,結局繰り返しかなと。
お決まり的な指導も必要だったりするので,それはそれでいいと思います。

要は経験を踏んでくると,下の世代の行動が危うく見えることがあるわけですね。だからついつい言ってしまいたくなる。


しかし,よく考えてみたら自分の中の核心部分の考え方はあまり変わっていなかったりするので,下の世代だから,経験が浅いからといって,考える力そのものが弱いわけではない。そういうことを我々オジサン世代が理解していればいいのかもしれません。


経験を積むほど,経験の大切さがわかってくるので,いまは経験の無い世代の人だって,いずれはわかるわけですよね。


■世代間というよりも個人間で闘えばいい

世代間闘争と言うけれど,指導・育成という形態を取るにしろなんにしろ,結局は個人対個人なのだと思います。


「オレたちの頃はな」ではなくて,「オレの場合はな」ということですね。


だから,「老人に死ねというのか!」と言う人には,「死ななくてもいいけど,あなたの老後が優雅かどうかはあなたが生きてきた過程次第です。」ということを個人として受け止めてもらうしかないでしょう。