マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

これからも唯一の核兵器使用国と付き合っていく覚悟

■唯一の被爆国という意識

毎年,広島・長崎の原爆記念日を迎えるたびに「唯一の被爆国として・・・」というフレーズが繰り返される。


被災者,遺族,そして子孫の方々など,彼らは純粋に被害者であるわけで,彼らの視点に立てば,このフレーズには被害者としての被爆国という意味合いが強い。これは理解できる。


ただ,唯一の被爆国だからこそ持ち得る情報があるわけだから,これを世界に向かって発信するためには,このフレーズに戦争被害者という意味合いをことさら強調して持たせることは得策ではない。戦争加害者でもある日本に対して,感情的な反発を起こさせることで正しく情報が伝わらない可能性があるからだ。


世界のパワーバランスや純戦争戦略論で議論される核兵器や核武装の話とは違う次元で,核兵器の持つ非人道的な破壊力や放射能被害の恐ろしさについて,今後も情報を発信していくべきだと思う。


■アメリカが歴史観を変えることはない

アメリカの原爆投下についての公式見解は,「戦争を早く終結させるため。」,「結果的に考えれば犠牲者の総数は少なくなったはず。」というもので,これは今後も変わることはないだろう。


日本側,特に被災した関係者からすると,どうにも受け入れがたい見解であり,これに対しては異議を唱えていくべきだと思う。どう考えても兵器実験的な側面が全くないとは言い難い。原爆投下による被害の記録を見るまでもなく,広島に止まらず,長崎にも,つまり1国に2回も大量殺戮兵器を使用したことは,戦略とか戦術とかいった域を越え,人間のなす所業としてどうなのかという次元の問題であると感じる。


当然,アメリカの政治家でも賢明な層は,そんなことは重々承知なはずだ。

それでも公式見解としては,「あれは兵器実験も兼ねてやったことで,予想以上の威力だったので自分たちも驚いている。」とは絶対に言わない。言えないだろう。


なぜならば,アメリカは正義の国であり,正義によって自浄能力を持ち続け,それによって国家システムを維持しているからだ。


これはアメリカを皮肉って言っているわけではなく,良い意味でも悪い意味でもアメリカは正義を重んじる。まじめに正義感を振りかざす幼稚さがアメリカをアメリカたらしめている。
反面,付き合うには非常にやっかいな国でもある。


■それでもアメリカと付き合うという腐れ縁

自らを正当化できる根拠があれば,それが他者から見てあまりに稚拙で滑稽ですらある論理であったとしても,アメリカは核兵器すら使用する国家である。それは今も今後も変わらないと思う。倫理観など吹っ飛んで正義が前面に出る国なのだ。


9.11の同時多発テロは許されるべきではないが,それくらいの恨みを自覚無く買ってしまうような国なのだ,アメリカは。


それでも日本は,そのアメリカと付き合っていかなければならない。


好きとか嫌いとか,国家同士の付き合いだからそんな次元は超えて,この恐ろしさを秘めた強大で無邪気な一面を持った国家と付き合って行かねばならない。


対ロシア,対中国との国家戦略を睨みながら,私たちはアメリカという国と今後も付き合い続けるという覚悟を持たなければならない。