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マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

そんなに自宅で死にたいのですか?ほんとうですか?覚悟はありますか?

■在宅での看取り1年間で2万7千人

これは「在宅療養支援診療所」が過去1年間に看取った患者数という条件付きです。

在宅療養支援診療所とは
http://www.akanekai.jp/zairyou.htm

1年間に自宅で死亡する数は約13万人(2005年)なので,その約20%を在宅療養支援診療所が文字通り支援している計算になります。


国の政策としては,医療費のかかる病院は治療するという機能に特化させ,死を迎える場所としては,より金のかからない在宅を推進しようとしています。
だからこそ,在宅療養支援診療所といった新たな支援システムも打ち出してきたわけです。


幸せに死を迎える場所ならば,自宅でいいではないかということですね。

最期は我が家で
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kaigo_news/20070502ik0a.htm?from=goo


さらに,自宅で死にたいという国民が80%近くも存在するという事実が,この国の施策が国民意識にも合致するという後ろ盾にもなっています。


ここで私は疑問に思うのです。
『みなさんほんとうに,そんなに自宅で死にたいのですか?』

■在宅での看取り=幸福というのは幻想である

私たちが提供する看護サービスは,もちろん在宅での看取りを前提にしている場合が多数あります。
というよりも,一人でも多くの方が在宅で家族に看取られて最期を迎えられたら,という想いから始まったサービスなのです。


上の表題は,自分で自分の理念を否定するようにも聞こえますが,これは決して相反するものではなく,看護サービス提供における,私の大切な信条のひとつです。


在宅で看取るということは,看取られる方も,看取る方もそれなりの覚悟が必要ですし,それまでの在宅での介護を含めると大変なプロセスです。
だからこそ,大切な人を自宅で看取れるということは素晴らしいことだと思いますし,望む方全てがこの充実感,幸福感を体験できればとも思います。


しかし,現実は在宅での看取りが幸福であるためにはクリアするべき条件があるのです。


本人が在宅での死を望んでいるということはもちろんですが,家族がそれを支えるに十分な心構えがあるのかどうか,支援する在宅医,看護師,ヘルパーなどの在宅関連サービスが十分機能しているのか,といったことがとても重要になります。


それらの条件に欠けるところが出てきた場合,負担が家族の一部に偏ったり,あるいは本人の精神的な負担が増したりして,在宅療養そのものが幸せとは言えない状況になります。


自宅での死を望むという80%の人は,とにかく病院ではなくて自宅で死ねれば幸福なのではなく,自宅であれば“自分の慣れ親しんだ環境”で,“慣れ親しんだ家族”に看取られて死ねるだろう,と思うからこそ自宅で死にたいのであって,自宅であっても家族に疎まれるか,あるいは孤独に死にますよ,と言われても自宅を望む人はそうはいないはずでしょう。


在宅での看取りが幸せであるということは,前述のように条件付きであって,全てが全て幸せというのは幻想に過ぎません。


医療費削減のために在宅での看取りを推進するのは構わないのですが,在宅での幸福ではない死が増えるのも確実と言えないでしょうか。

■昔と今では状況が違う

『昔は誰もが自宅で死んでいたのだから,自宅で死ぬというのはごく自然なことである。』という意見もあるようですが,これもちょっと乱暴な意見に聞こえます。


昔は,家族と地域のコミュニティーが機能して,子育てにしても高齢者の介護にしても,誰かひとりに負担がかかるということはありませんでした。


今は,家族がいても離れて暮らしていることは普通ですし,高齢者夫婦だけの世帯も多い。高齢者の介護に関して地域のコミュニティーが機能することもほとんどありません。


在宅で高齢者の介護を抱えたが最後,破綻するケースは山ほどあります。

■それでも自宅で看取りたいなら

それでもやっぱり在宅での看取りは素晴らしいと私も思います。

blog.aladdincare.com

ですから,在宅での看取りを望むならば,在宅療養における環境をできるだけ整え,足らないところは家族が負担を負う覚悟を決めるべきでしょう。


介護保険サービスはとてもサポートになりますが,1日の大半はやはり家族が在宅療養を支えるのです。


24時間体制の在宅療養支援診療所も訪問看護ステーションも,なにかあればすぐに駆けつけてくれますが,最後の瞬間は家族が看取る準備は必要です。


それらが難しいのであれば,在宅での看取りはやはり難しいのではないでしょうか。


国は,公的な支援さえ充実すれば在宅での看取りを増やせるとしていますが,それはあくまで家族の負担を多少減らすだけであって,人ひとりが死ぬまでのプロセスを簡略化できるわけではありません。


自宅で死ぬ,看取るということの実態を国民がきちんと認識しないままに,制度だけは在宅に移行する現状は,やはり在宅での不幸な死を増やす結果につながるように思えてなりません。