マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

子供をつくらない自由と育てる義務

■子供から年金に対する素朴な疑問

高校1年生になる息子から年金に対する素朴な質問を受けました。


『今お父さんが払ってる年金は今の老人に行くんでしょ。だったら僕らが払う年金はお父さんとか,その時の老人のために払うんだよね。』


『じゃあ,子供の数が減ってるから僕らの負担は今より増えるんだよね。』


現状のシステムではそうならざるを得ないので,答えはYESです。


ここで息子は親戚である子供のいないオジさん,オバさんたちに思いが至ったようで,彼らの分も自分たちが負担するのはおかしいのではないかと言い始めました。


子供たちの世代が自分たちの親以上の世代を養うシステムなら,子供のいない人たちの分まで負担するとなると負担が大きくなるぞ,という単純な計算です。


子供が直接自分の親を養うのではなく,プールした資金から世代全体を養うのだから,子供がいる人もいない人も区別はない,ただ子供のいない人の比率が大きくなれば負担は大きくなると答えました。


年金,介護保険,医療保険などの各種制度に対するフリーライドの議論もありますが,子供たちの世代としては表面的な損得勘定で納得いかない部分があるのでしょう。

子供をつくらないという選択で貴方は何を得るか?

■子供をつくらない自由

子供をつくらない(できないという場合もある)夫婦が,将来年老いたときに各種の制度を利用することがフリーライドであると言い切ることは難しいでしょう。


将来,自分たちが養われる世代になるときに備えて,支える下の世代の数を増やし,直接育てるという作業はしていないという面は確かにありますが,現役時代には税金や各種保険によって上の世代を養っているわけです。


また子供の養育費用に比べて小さいとはいえ,国に納めた税金の一部は教育に回り,間接的には若者を育てている一面もあります。


各自の人生設計の中で,子供をつくる,つくらないというのは,時代背景も大きく影響し,必ずしも個人の主義や考え方だけで決まってくるものでもないと私は考えています。


■子供を育てる義務

一方,『子供をつくるのはその夫婦の自由なのだから,養育に対して補助をするのはおかしい。』という意見がありますが,これは補助の是非とか補助の大きさという問題とは別に,子供を育てるのが夫婦単位(男女単位)に投げられているようで,おかしいと思うのです。


私は現在進行形で子供を育てる過程で,補助金というものをほとんど受けたことがありません。子供の人数が多いにも関わらず,一律に設けられた所得制限のおかげで常に対象外になるからです。


子供が欲しいとか,最低でも何人は欲しいとか,そういうことは自分たちが決めたことだからしょうがないと思ってきましたが,上のような意見を聞くと,それは違うと感じました。お金の問題は関係無くです。


子供を育てた経験のある方なら,どなたも感じたことがあると思うのですが,子供が自分たちだけの所有物であるとか,自分たちだけに属する存在だと思って育てているわけではないということ。


もちろん,生まれたての赤ん坊の頃から,誰にもかわいいと思える年代の頃にかけては,親の特権だなあと思いながらかわいがって育ててきましたが,反抗期だったり,それなりに自律した考えを持つようになると,自分の子供だからかわいいと思うだけでは育てられなくなります。


彼らがひとりで世間で生きていけて,市民として税金も納められる,大人と認められる存在にしないといけない,という責任感が大きくなります。


確かに親子だから似ているし,情もあるし,他人よりはつながっているとは感じますが,何というか,社会から預かっていずれはちゃんと社会に戻さなければならない存在のように思えてくるのです。


将来自分たちが面倒見てもらえるだろうとか,育てた恩を忘れるなよとか,そんなことは自分たちのことを振り返れば期待できないことは重々承知で,そんなことを考えて育てていけるとは思えません。


だから,子供を育てるということが夫婦単位(男女単位)だけで完結しているとはとても思えないのです。夫婦単位(男女単位)で育てていても社会全体に影響のあることだと思えるのです。


生んだ以上は育てる義務があるのですが,子供たちというのは,社会全体に影響のある存在で,必ずしも夫婦だけの属性としてかたずけられる存在ではないということです。


補助はあるに越したことはありませんが,補助がなくても立派に育てたいと思いますし,そしてそれは自分たちだけのためではないのです。そして,親としてそれくらいの自負心と責任感がなければ,子供なんて育てられない。


■そして子供たちの選択

私たち親の世代が,年金はじめ各種の問題を次の世代に先送りしようとしていることは,子供たちの世代はよく知っています。


親は子供が大人になって,将来国を支えてくれるようになんて考えますが,子供の方はそんなことは知ったことではないようです。


「将来,日本でまともな仕事なんてあるの?僕は海外に行って仕事するつもりだけど。」


それが現実的に可能かどうかは本人の努力次第ですが,彼らの発想としては,すでに日本は捨てられているということでしょう。


そして彼らの何割かはそれを実行に移すかもしれません。政治家の思惑とか親の期待とは関係なく,彼らは現実的な選択をし,日本に残るのは日本を捨てる力のない若者だけになるのかもしれません。