マネジメント実験室

小さな企業の経営・マネジメントを通して日々考えたこと、学んだこと、感じたことを。

『萎え!』に見る若者の世界観

「萎え(なえ)」は「萌え」の対義語らしい。


高校生の息子が何かにつけて連発する。


大量の宿題が出されたり、親に小言を言われたり、彼の日常には「萎え」る理由がたくさん存在するようだ。


「萎える」とは「気力が萎える」ということなのだが、ニュアンスの中には「頭にくる」とか「納得いかない」、「やってられない」といった怒りの気持ちも含まれていると思える。


親の小言に対して「ああ、うるさい!」と言うときは、明らかに抗議の意志がある。「うるさいから黙ってくれ」という相手の行動を促したい気持ちの表れであるから、乱暴で一方的ではあるが、コミュニケーションを放棄はしていない。


しかし、「萎え!」は自らの心理状態を相手に伝えることが主で、コミュニケーションをとって、何らかの展開を図ろうとする意志は希薄なように思える。
とても自己完結的に見える。

「萎えたのはわかったから、だからどうなんだよ・・・」という後の展開が図りにくいのだ。


たかが流行り言葉、若者言葉ではある。しかし穿った見方かもしれないが、そこに彼らの世界観を見て取ることができる。


彼らを取り巻く社会には、彼らに希望を与えたり、夢を抱かせたり、あるいは反抗心を刺激したりすることよりも、圧倒的に「萎え」させる現実が多いのだろう。


超高齢社会、赤字財政、大企業による外国人登用の促進などなど、彼らが本格的に社会に参画する以前に、日本社会も経済も停滞し、さらには将来負担という形で搾取されている。まさに「萎え」るしかない状況なのである。


親としては、将来の希望ある日本を彼ら若者に託したいとは願っているが、正直、自分たちも飲み込まれてしまいそうで、とても未来を語れるような状況でもない。


なんてことを考えていたら、日本人化学者がノーベル賞を受賞したとのこと。

MSN産経ニュース


「日本はもっとノーベル賞をとっていい」とコメントする根岸氏は、もうアメリカに渡ってから50年以上経過している。若者に夢を与えるニュースかと思いきや、科学の分野でも日本の包容力の無さ、基礎研究に対する後進性を改めて思い知ることとなった。


この方、確かに日本人ですが、ノーベル賞の日本受賞数にカウントしてはいけないと思う。


「日本はすごく居心地がいい社会なんでしょうけれど、若者よ、海外に出よ、と言いたい」


そうです。「萎え」る日本なんか背負って立たなくていいから、海外に活路を見出すくらいになって欲しい。


有能な若者がどんどん海外に流出して国力が弱くなれば、この国のバカな老人たちも、若い世代から搾取しようにも搾取するものを生産する力がもはや失われていることを思い知るのだろう。