■ノーベル賞大量受賞しても理系への進学者は増えないと思う
一連の報道の中に,「これで理系離れにも多少の抑止効果があるかも」といったものがあったが,たぶんほとんどないだろう。
ノーベル賞のような権威ある賞を,たくさんの日本人が受賞することは意義のあることだと思うが,この影響で理系にスポットが当たっても理系職種に進む学生が増えるとは思えない。
ニュースに触れて,科学少年たちは大いに興味をそそられたかも知れない。
子供は将来の可能性について,大人よりも少しばかり現実主義ではないし,ずっとイメージ力豊かだから。
そういう子供たちにとっては,より強く自分の方向性を決意するきっかけになるかもしれないが,きっかけがなくても理科系の方向へ進む可能性が高い。
そもそもそういうニュースに関心を寄せる子供たちは科学大好き人種が多いからだ。
でも,科学大好きな子供たちと学生では将来についての現実感が大きく異なる。
理系か文系かの選択をまさに決めようとする学生たちにとって,ノーベル賞受賞者は自分たちの将来を重ね合わせられるリアルな存在ではない。
それよりも,インタビューなどを通して,受賞者たちの浮世離れぶりを見るにつけ,理系に行ってしまうと世間から乖離したマインドになってしまうのでは,と危惧する可能性のほうが高い。
■具体的な職業イメージを提示していない
これはとても重要な問題で,進路を決めようとする学生に対して,理系職業の具体的なイメージを提示できていないのではないか。
世の中にある職業について,本当に詳細に何をやっているかなんて,その職業についている業界人じゃないと大人だってよく知らない。
でも,自分が職業人であれば,自分の業界以外についてもそれなりのイメージを持っているはずである。
それはテレビなどメディアを通じてバラ蒔かれた既成のイメージであるかもしれないが,具体性があることが重要である。
進路を決める学生にとって,理系職業やその職業に就いている人々にどのような具体的なイメージがあるだろうか。
パッと思いつくのは,日用化製品か何かのCMで,いかにも研究開発職の人間が説明をするシーンくらいか。
どのような環境でどんな感じで仕事をしているのか・・・学生にもわかりやすい一般的なイメージがほとんどないような。
Web系の技術職は,まあ流行ということもあるけれど,今や一番身近でイメージしやすい技術職なのかもしれないが。
こういう分かりやすいイメージが技術職一般になければ,親しみなんて湧くはずもなかろう。
■誰かがやらなきゃ,でも自分じゃない
工学系の学部は単位も多いし,実験やら研究室やらで拘束も多い。
社会人としてのキップを手に入れるだけなら,もっと苦労しなくてもいい方法がある。
誰かが技術者として次世代を担っていかなければいけないのだが,それは自分である必要はないのである。
本当に心の底から就いてみたい職業が無ければ,あえて技術者になるという苦労はしなくてもいいと思うのは自然だ。
社会的にリスペクトもされないし,そもそもリスペクトなんかされることは若い人たちにとってインセンティブにはならないし。
こういうのは時代時代の背景だったり,教育システムの反映だったり,世相だったりするのだが。
そういった訳で,工学部に進学する学生が減っても不思議でも何でもないのである。むしろ当然の流れだったりする。
むしろ日本は無理に『技術立国』を維持しないで,別の方向で立国すればいい。
ゲーム立国でもアニメ立国でも,海外への出稼ぎ立国でもいいじゃないか。